先日、所用で福岡に訪れた友人と、佐賀県の呼子町方面に出かけました。

この日は夏休みと日曜日が重なり、呼子の港周辺は多くの人で大賑わい。皆さんの目的はイカの活け造り。ご存知の通り、呼子はイカの活け造りで全国的に有名です。一番人気の老舗料亭の「河太郎」は、既に2時間待ちの状態でしたので、整理券をもらい、待ち時間を利用して、現在放映されている大河ドラマで話題の名護屋城跡に向かうことにしました。
小職の関心の薄さが要因ですが、福岡にいながら、歴史教科書に記載されているこの有名な史跡に1度も足を運んでいません。その友人は、歴史に興味を持っていろいろと下調べをしており、友人の後について名護屋城跡を歩き回りました。しかし炎天下、大変な暑さですので、観光客はほとんどいません。呼子の町の賑わいと大きな違いです。歴史より食です。

名護屋城本丸跡から玄海灘を臨む

名護屋城本丸跡から玄海灘を臨む

広大な城跡は、玄界灘を一望できる高台にあります。豊臣秀吉が半年で築城した本丸や大名屋敷の痕跡はなく、残っているのはその土台の石垣だけです。しかし、その石垣と友人の詳しい説明を通して、はるか昔の戦国時代に思いを馳せました。

 
名護屋城本丸跡から玄海灘を臨む

名護屋城本丸跡から玄海灘を臨む

西の果てのこの田舎の地に朝鮮出兵の為に築城し、全国から多くの大名を集結させて、十数万の兵力を朝鮮に派遣した豊臣秀吉の強大な権力に驚かざるを得ません。正確な通信網が無い時代に、どのようにして十数万の兵を集めたのか、その間、兵士がどのような食事や生活をしていたのか、兵士はどのようにして見知らぬ朝鮮へ送り込まれたのか。現代においても簡単に出来そうもない大事業を、400年も前の時代にやり遂げているその事実に壮大な歴史のロマンを感じます。

 
名護屋城跡登り口と石垣

名護屋城跡登り口と石垣

「炎天下、夏草の鮮やかの緑、幾重もの石垣、静けさの中のセミの鳴き声」は、松尾芭蕉の有名な俳句「夏草や 兵どもが 夢の跡」「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と見事に重なり合います。
城跡に隣接している県立名護屋城跡博物館では、豊臣秀吉の朝鮮出兵の歴史を詳しく知ることが出来ました。名護屋城跡の見学は、思いのほか歴史の面白さを感じさせてくれる貴重な時間でした。

 
呼子「河太郎」のイカの活け造り

呼子「河太郎」のイカの活け造り

そうこうしている内に予定の2時間が過ぎ、イカの活け造りの店「河太郎」に戻るやいなや、整理番号を呼ばれました。何というタイミング、待ち時間ゼロです。早速、定番の活け造りと少し欲張ってイカ天丼を注文しました。イカの活け造りはどこでも食べることが出来ますが、海沿いの生け簀に泳がせている呼子のイカは、一味違う気がします。30年ぐらい前に初めて食べた時の感動は、今でもしっかりと覚えています。確かに、他とは一線を画す美味しさです。食べ過ぎて胃の中でイカが泳いでいます。

 
唐津くんちの曳山

唐津くんちの曳山

帰りの途中、唐津「おくんち」の曳山が展示されている資料館に寄りました。獅子や魚の形をした実物の曳山は、なかなかの迫力です。毎年テレビでは見るものの、近くにいると、案外出かけることはありません。
今回のドライブは、友人のお陰で新鮮な発見の小旅行となりました。